2009年06月16日

@青森@川柳

青森にいる。

今までなら帰っていたはずの日数をもうとっくに過ぎていて、そして帰京はまだ少し先。いくら写真を撮りに来たとはいえ、故郷・青森が苦手な私がこんなに青森に滞在するのは初めてのこと。何でこんなにいられているのかと言えば、それは川柳によるところが大きいかも。

携帯から投稿してるので詳しくは後日書くが、私は青森にきて初めて川柳を作り、一緒に作品を作っている川柳作家・菊池京に誘われて川柳の大きな大会と菊池京の属する社の句会に交ぜていただいた。そして18日も句会に出るつもり。写真はどうしたと言われそうだが、すんません今のところ写真はそっちのけ。でも構わない。川柳を作ることが写真に絶対プラスになると感じるから。

川柳のシステムがとても私の性に合うのだ。自由に誰をも受け入れ、その時々に代わる複数の選者による完全公開で明確な評価。選者ももちろん句を作り題が代われば選ばれる立場。そして選者は選のセンスとの品格を問われる。
師匠と弟子はちゃんとしてながらも皆等しく表現の同志として尊敬しあう。その懐の深さ。どんな人も雅号(ペンネーム)の下の名前で呼び合う習慣もとても素敵だ。
そして何と言っても川柳人は感性も教養も半端なく、それをもって十七音で読み手を一気に居合抜きする。そのカッコイイことったらない。それら川柳のすべてに本当に魅了されている。

青森という土地は本当に文学的土壌が肥沃であるなあと。その土壌の上に川柳王国・青森もあるのだと実感している日々。

そうかと言って写真を撮らないわけにいかない。明日から三日は撮影に専念しようと決める。川柳のように、ズバッ!と天に抜ける写真が撮りたい。
posted by FUJITA MEGUMI at 02:35| 東京 雨| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月09日

最近料理が復活してきた

気がつけばもう6月に入っているんですね。昨日は久しぶりに朝のウオーキングをした。靄がかかった大川端、肌寒く感じて長袖のパーカーを着込み歩く。何日も歩いてなかったから歩き方を忘れたみたいな変な感じで、何回か同じ方の手と足を出して歩きづらく感じた。途中から衣服の接触性なのか寒冷刺激なのかわからないけど、太もも内もも全体に広範囲にじんましんが出る。灼熱感をもった耐え難いかゆみに、ももを強くさすりさすりがに股で歩くはめに。さすがにズボン脱いで掻くわけにもいかんし。帰って脱力してふて寝。まったく、復活第一日なのにこれ。私らしい。

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人生におけるミッションをかなえサクセスするためにモチベーションをしっかり持ち、ひとつひとつタスクを効率よくこなし階段を確実にあがり勝ち組になんなきゃいけない 
そんなふうなことを一生懸命熱く語る人達の話を遠くで聞こえる防災無線の放送のように聴きながら、ああこの人達って野坂昭如の「花のお遍路」みたいな話ってきっと耐え難く嫌な話に思うんだろうなとかボーっと思っていた。「花のお遍路」は、私はとっても美しいお話だと思っているのだけど。
「使える」人脈を拡大するべく如才なくいつも笑顔でにっこり自分の利害のためにもらった名刺を吟味し 書かれてある肩書きで対応を決めるってことも、時には必要な場面もあるとは思うのだけれど、私の周辺にはそういうのに長けている人がまるでいない。私がそういう友人を欲していないからなんだろう。ていうかさ、そもそも人生のミッションって、何だ?

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JRの「横浜・神奈川デスティネーションキャンペーン」のポスターが♪とてもきれいねヨコハマ〜 という感じで、駅構内で目にする度いつも見とれている。本当に幼い頃、商売をやっている実家の店の有線からいつも流れていた。そのころは無論歌詞の内容もヨコハマの街の明かりの美しさも知るよしもなかったけれど。
ポスターの女の人の青いシフォンのワンピースに赤のクラッチバックが素敵。クラッチバックって大人の女が持つものだと少女の頃は思っていたし大人の女になったら持ちたいなと思っていた。いざ大人になった今の私は、クラッチバックどころかワンピースもストッキングもハイヒールも日常ではない。
そういえば、松田優作の「蘇る金狼」に出てた風吹ジュンのファッションもプリーツスカートのスーツかワンピースでヒールの靴にクラッチバックだった。素敵だったな。昔は大人のいい女の格好といえばそういうものと相場が決まっていたのかも。今はファッションも自由でいいけれど、相場が決まっている中でのかっこよさって、めちゃめちゃかっこいいと思う。クラッチバック、欲しいな。

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水嶋ヒロの萌えポイントが全然わからない。私の中ではへんな顔部類に入る。マツジュンもブサイクに見えると言ったら「老眼入ってる?」と言われた。老眼つうか目は悪いけど。やっぱ瑛太だろ。

posted by FUJITA MEGUMI at 02:23| 東京 霧| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月22日

帰省や覚え書きや

3月から飲食店でやっている展示は、お店の要望でしばらく続けることになった。3月〜4月上旬は、常連のお客さんに「ちいママか?」とつっこまれるくらいお店に行っていたが、さすがにもうひと段落した。

4月上旬は青森に帰省した。

前半は一緒に作品をつくった川柳作家の菊池京とともに、地元の企画集団ぷりずむの主催する「ゆきのまち幻想文学賞」の受賞パーティに出させてもらった。八甲田ホテルでの素敵な一夜、のはずが。どうゆう成り行きか全然わからないまま、なぜか審査員の萩尾望都さんをはじめ地元政財界のそうそうたる方々の前でパーティの中締めの挨拶をするはめになり、菊池京と二人 冷や汗ダラダラ。でも萩尾望都先生に握手してもらったからいいや。

八甲田は雪の中だった。あ〜雪だ と思った。

ぷりずむの出している雑誌のなかに「ゆきのまち通信」というのがあって。そこに載っている雪が写っている写真がめちゃよかった。雪って写らないんだよね、写させてくれない。だけど雪がちゃんと写っている写真の数々。これ撮った人ってどういうカメラマンか写真家なんだろうと思って尋ねたら、「これ編集部がみんなで手分けして撮ってるんですよ」。え〜。さすが編集者って思った。

そして、その雪の写真をみて素直にいいなと思いこそすれ、「くやし〜」というジェラシーが湧かなかったことにちょっと感傷的になった。私はもう雪が体に浸みてない人なんだなということと、雪をちゃんと撮れなくてもいいと思っちゃってるんだなということを感じた。それがちょっと一瞬感傷的なほうにふれてしまったけど、でもしかたのないことだと思い直した。

残りは青森の街を撮って歩いた。自分が27歳までいた街。もう住人じゃない、でも完全な旅人じゃない。あちこちに自分の残骸が落ちてるけど、それはもう変質や風化をしてしまっていて。歩くうちに寄る辺なく中途半端な、身の置き所のないような気持ちになる街。そしてもう、私には住人の目で雪は撮れない。雪は幻想になりつつある。

でもそんな私にだからこそ撮れる「あをもり」があるはず、とか思う。なんとなく、それを撮らないと終わらないような気がしているし。前回の個展に引き続き、何かの落とし前のために故郷を撮っているのだろうか。よくわからない。でも常に故郷に感じる違和感を「あをもり」と名付けて撮っているんだと、そう思い。青森を出て行った人、残った人、それぞれの納めどころなくはみ出る思い。愛してる裏側で同じくらい嫌悪する。そんなことをクラクラと考えながら、風の強い淋しい駅前でシャッターを切る。

あ〜でもなんかもどかしいんですわ。撮ろうとするものにまだまだまだ手が届かない。これはもう、何回も帰省して撮るしかないのだなきっと。故郷なんてやだよ、撮っててちっとも面白くないのに。なぜ撮ろうと思うんだろう。今はまだ答えが出ない。だから考えることをほうっておこう。


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この展示期間中は、飲み屋さんで展示したことにより普段知り合うことのないであろういろんな人と出会った。いろんな人生のモデルを見させてもらい、本当に勉強になった。このひと月という短期間で、数々のエピソードを通し ぎゅっと凝縮した形で何らかの啓示や示唆と思えるようなことをたくさん得たことは、きっとこれから私がそれを必要とするからなんだろうな、と素直に思えた。いいことも、ちょっと「あらら」と思ったことも、両方ともきっと絶対必要なことなのだと強く思った。

いろんなことを思ったけど、まず思ったのは、何をやっているか解らないひとになっちゃいけないと思った。名刺の肩書きのカタカナを見ても「結局何してる人なんだろう。。」と思ったり、話はすごい立派だったけど帰って名刺のURL見たら最終更新が3年前とかで今のことがわかんなかったり。そんなことが結構あったから、自分は何をやってるのかちゃんと解ってもらえる人になりたいとそう思った。

それから、人付き合いは好き嫌いで決めて大方は間違わない と感じた。

それから、物事って、当たり前のことを当たり前にごく普通にまじめにやっていればちゃんと回っていくものなのだと感じた。きっとそれがとっても難しいことなのだ。当たり前のことを当たり前にやること、それがなかなかできなくて、はじめは2ミリ3ミリだけずれたものが後々修復しがたいズレになって狂っていく。

それから、人のにおいによりいっそう敏感になろう と思った。このにおいの人とはおそらくダメだ、というにおいが、何となくつかめてきたから。

そして最後に、自分のスタイルを守るということにこだわっていこう、と思った。うまく云えないんだけど、例えて云うなら 目の上は青く塗らないとか ピンヒールは履かないとか ドロドロプリンは断固としてプリンと認めないとかそういう自分の決めたことを、やはり守って行った先に何かあるんだと思うのである。

あ〜久しぶりに一気に書くと、結局何を書いてるんだかわかんなくなる。ブログは間あけちゃだめだね。まあいいや、今回も殆ど自分の覚え書きだから。


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展示のお知らせ

菊池京×藤田めぐみ
「そんな気がしてた Ver.D」
神田「NAMIHEI」
詳しくはここをご覧ください→http://megmego.com/

川柳作家・菊池 京と一緒に、川柳と写真の作品を作ってみました。
今 ごはんのおいしい飲み屋さんで作品展をしています。
3月一杯の予定でしたが、会期を延長して今しばらくやってます。
お店の営業時間内で観られます。(18:00〜23:00 土日祝はお休み)
posted by FUJITA MEGUMI at 05:25| 東京 曇り| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月25日

クローズド試食会

私が今展示をしているお店は、「全国の人と知恵と食がつながる リーダーズサロン NAMIHEI」という。
http://www.namihei5963.com/

お店に行くと、いろんな分野のいろんな人が集まってきていて、それと同時に全国の美味しいものが持ち込まれ集まってくる、そんなお店。基本的に2週間ぐらい毎に、全国からの選りすぐりの美味しいものや特産品が、信作シェフのマジックで素敵な一品になり おまかせコースの中に入るのであるが、もっというとその日にたまたまお店にたどり着いたその日限りの美味しいものだって食べられる夜がある。食いしん坊にはたまらないお店だったりするのだ。

今日は真理子ママにお昼に呼ばれた。「ねえねえこの特産品って、どう?イケてる?」ということを気楽に話してくれればいいからと真理子さん。いわゆるクローズドな試食会。
真理子ママともう一人、お取り寄せの達人で先生の花房美香さんと一緒。彼女はお取り寄せのくちコミポータルサイト「おとりよせネット」のメインコーディネーター。うまいものお取り寄せのプロ中のプロなのだ。
「おとりよせネット」http://www.otoriyose.net/


女3人でわいわい気軽に食べておしゃべりできていいわと気軽な気持ちで行ったら、出てくるものがあまりに豪華で腰を抜かした。

まず、牡蠣。で、でかっ!SMLってあるんだけど、Sの長径が私の人差し指くらいあるっ!!Lは、私の中指の長さを軽く超えていた。。
DSC01639.jpg

なんでも島根県の隠岐郡 海士(あま)町http://www.town.ama.shimane.jp/というところの牡蠣で、「春香」という名前がついている。

島根県隠岐島海士町の岩牡蠣「春香(はるか)」サイト
http://www.shimakazelife.com/

CASシステムという保管輸送システムで運ばれるので、鮮度が抜群というだけあって、とにかく甘いし味があるし、う〜んミルキィすぎる。。美味しい!あ〜ホント語彙が貧困でうまく言葉が出てこないんだけど。北のほうの牡蠣だと、牡蠣の汁は塩辛く癖がありすぎて飲めないんだけど、こっちのほうの牡蠣のエキスは適度な塩っ気でたまらない。ああ白ワインがほしい、、ちょっと甘めのリースリングでもいいななどと思う。

信作シェフマジックの2品
トマトジュレがけ
DSC01645.jpg

カリフラワームースがけ
DSC01642.jpg

どちらも口の輪郭がなくなりそうなほどうまい。。天才信作のムースもジュレも美味しいし、牡蠣がまたそれに負けないし勝ちすぎない。身を食べたあとのエキスとムース・ジュレが混じる味がまたなんとも言えず、牡蠣の殻をじゅるじゅると舐めてしまう。お行儀悪くてごめんなさい。これはお取り寄せするでしょう!うちに牡蠣の身をむくナイフもあるしっ!決定だわ。でもこれ、結構お値段するらしいけど。

そして次は、NAMIHEIが飲んだあとの締めの一品として考えているという、まだお店に出していないメニューの「ラーメンサラダ」
P3252567.jpg
今日の麺は津軽の細ちぢれ麺。それにミョウガと大葉が効いた野菜と豚しゃぶ肉のせ。美味し〜。飲んだ後にこれは嬉しい。ラーサラって初めて食べたけど、冷やし中華とも冷製パスタとも違う食感。夏バテの季節にも食べやすいし、トッピングでいろいろ変わるし楽しいかも。「今日のラーサラ何?」みたいな。

そして次は餅です、お餅。岡山県新庄村http://www.shinjoson.net/の「ひめのもち」。いろいろ種類はあるんだけど、写真は豆餅。
DSC01650.jpg

このお餅は本当に美味しかった。豆のほのかな塩味がお米の甘みを引き出すのか、とにかく餅単体でいくらでも食べられる。ちょっと醤油をつけたり海苔を巻いたりしたが、それらが邪魔になってしまい、ただただ餅だけを食べ続けた。
食べるのが忙しくて写真を撮るのを忘れちゃったんだけど、しゃぶしゃぶ餅もとても美味しい。醤油だしに四角く薄い餅をしゃぶっとして、おつゆでサッといただく。喉ごしがツルッとして、鼻に餅の風味がふっと抜ける。これ、ちゃんことか韓国鍋の後だったら、何個でもいけそうだなと思った。

しかし。いざ自分がお取り寄せするとなるとどうだろうと考える。私が自発的に餅を食べるのはお正月しかほぼない。普段コンスタントに餅を取り寄せて消費するかどうかと考えると、う〜ん。平日の朝、休日のブランチや夜に、ごはんでもパンでもパスタでもうどんでもそばでもそうめんでもなく、果たして餅を主食に選ぶのか?と言われると言葉につまる。パスタはゆでても、食べ方に飽きた餅を餅ピザにできるかどうなのか。私的にはそれは何年かに一回の頻度の様な気がする。
でもこのお餅、本当にうまいのよ!郷愁をそそるし、人にもぜひ勧めたい。しかし、だからこそ、あと一歩何かが。。という感じ。ますは、配送されてから、餅を一個一個ラップで個別に包装し直さなければいけないのではないか?ということを聞きたい。それって結構重要だよね。いや、いいんだけどさ私は一個一個ラップするよ!ってホントか?

まあそんなこんなで、女3人、あーでもないこーでもないとおしゃべりしながらしっかりがっつりお腹一杯いただいて(女ってしゃべってもちゃんと食べられるのよね)クローズド試食会は終了。日本国中にごまんとある特産品って、美味しい・安全・めずらしいってだけじゃだめで、何かがもうひとさじ、ベクトルがもうちょっとの角度違う方向、みたいなことが必要なんだなってことと、NAMIHEIの評判のお料理は、こういう事から生まれるのだなと納得した次第でした。しかし美味しかった。真理子ママ、図々しいのは重々承知ですが、またお呼ばれしたく、よろしくお願いします。

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「そんな気がしてた」という作品をつくってみました。
Ver.DとVer.Sと、二つのバージョン。


菊池京×藤田めぐみ
「そんな気がしてた Ver.D」
2008.3.9〜4月入ってしばらく 神田「NAMIHEI」
詳しくはここをご覧ください→http://megmego.com/

川柳作家・菊池京とのコラボ 川柳と写真の作品の新作です。
夜の飲食店で、小さな展示をしてます。
コース料理が基本のお店で飲食費がかかりますし、私も毎晩はいませんから
ご来場に関する過分なご配慮やお心遣いはまったくもって無用です。
内容は、展示が終わったら本サイトで公開予定です。
もしご来場される場合は、メールにてお知らせください。

藤田めぐみ
「そんな気がしてた Ver.S」
BIGLOBEケータイ書店 小説カテゴリ内「ケータイ文庫drop」

私がごくごく短い13の物語を書き、それぞれに二つずつ写真をつけました。
携帯コンテンツとして、 3月下旬配信予定です。
posted by FUJITA MEGUMI at 18:23| 東京 雨| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月23日

展示続いてます

川柳作家・菊池京とのコラボ展示「そんな気がしてた Ver.D」は神田「NAMIHEI」で続いている。3月31日まで。

2〜3日に一度はお店に行っている。私の友人知人はもちろんのこと、その場に居合わせたお客さんと、川柳や写真についてお話させていただくことがとても楽しい。「川柳って、サラ川と違うの?」とか「そんな小さなコンパクトデジカメでどうやってこれ撮るの?」とか、そんな些細なきっかけ話から、川柳に描かれている情景や写真から受けるイメージの話に広がる。お酒が適度に入っているから、私とお客さん、お客さんとお客さんはすぐうち解けて、面倒な前置きなしに気さくにお話してくださる方が多い。こんなとき、普通のギャラリーでやったらこんな風にはならないだろうから、これはこれでとても面白いしよかったなと思う。

川柳の菊池京が二日間上京して楽しい時間を過ごした。彼女の圧倒的な明るさは、聡明さと瞬時に人を気遣える想像力に裏打ちされているので、私はとにかく何一つ気兼ねせずに安心して楽しく笑いっぱなしであった。一緒に過ごした若い娘時代に戻って楽しかった、というのじゃない。昔話は殆どしない。今の話をした。今の仕事、今の生活、今表現でやっていること、今これからやってみたいこと。
ほとんど15年ぶりに再会したも同然なのに、間を持たせるための昔話をダラダラとせずにすみ、屈託なく笑い合い、そしてこれからまた一緒に何を作っていこうか などという話ができることは、本当に稀で幸せなことだ、と思った。

この展示を通じてできたご縁のおかげで、4月6月と青森に行き、また新たな出会いと楽しい時間を過ごせるようなことにもなった。やっぱりこれは、青森の写真をもっと撮れということなのかもしれないと思う。私にとっては「あおもり」じゃなく、私の中ですでに何かが変質しているふるさと「あをもり」。それを、なんか理由なく理屈なく、撮れということなのだと素直に思う。

いつもながら、展示は搬入した時に自分的にはもう終わっている。そのあとのお客さんと過ごす時間はとても嬉しいおまけ。今日もNAMIHEI」に出勤。今日はスパークリングで始め、素敵なゲストと楽しい時間を過ごしながら、きっと次は何をやろうかと無意識に考えているだろう。
今回の展示に桜が間に合ってよかった。展示が急遽3月に決まった時、桜が咲いているという高揚感や夜桜を見たときの怖れにも似た気持ちや、散り際の寂しさをイメージして作ってみようと思ってそうしたから。川柳が恋を連想させるものが多いので、恋愛ってなんか桜が咲いて散るまでとかそういうもんでしょきっとと、ベタにやってみたかった。だって春だもん。ちょうど満開の頃、展示が終わるんだな。ちょっと嬉しい。


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「そんな気がしてた」という作品をつくってみました。
Ver.DとVer.Sと、二つのバージョン。


菊池京×藤田めぐみ
「そんな気がしてた Ver.D」
2008.3.9〜3.31 神田「NAMIHEI」
詳しくはここをご覧ください→http://megmego.com/

川柳作家・菊池京とのコラボ 川柳と写真の作品の新作です。
夜の飲食店で、小さな展示をしてます。
コース料理が基本のお店で飲食費がかかりますし、私も毎晩はいませんから
ご来場に関する過分なご配慮やお心遣いはまったくもって無用です。
内容は、展示が終わったら本サイトで公開予定です。
もしご来場される場合は、メールにてお知らせください。

藤田めぐみ
「そんな気がしてた Ver.S」
BIGLOBEケータイ書店 小説カテゴリ内「ケータイ文庫drop」

私がごくごく短い13の物語を書き、それぞれに二つずつ写真をつけました。
携帯コンテンツとして、 3月下旬配信予定です。


posted by FUJITA MEGUMI at 16:24| 東京 晴れ| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月10日

展示初日

昨日から飲食店で夜の展示をしている。

いわゆる「飲み屋がけ」というのは、いろいろと面倒だ。来場に飲食費がかかるため気を遣い、気安く見に来てよと言えない。ゴールデン街あたりの写真バーならともかく、当たり前だがお客さんは写真を見に来るのではなく飲食をしにくる。飲み会が盛り上がれば壁に何がかかってあるかなんてまったくどうでもよくなるであろう。煙草の煙だ鍋の湯気だと、苦労して作ったプリントには本当に過酷な条件だし、自分がいくらイチオシだったとしても店のオーナーが「これはちょっとうちの店には...」という写真はかけられない。写真展はおろか写真作品を見たことのないお店の人に、写真はどう店の空気をいい方向に演出していけるのかということを示して、コンセンサスを得なければならない。いざ搬入となったらとてもじゃないけど水平とって展示なんて悠長なことはやってられず、酒瓶をよけコーナーソファーの弾力に足もとがグラグラしながらフックにテグスをひっかけるべく必死に手を伸ばす。

まったくもって、展示内容以外のことで考えることが非常に多い。私もついこの間までは飲み屋がけなんて絶対しないと、そう思っていた。

だけど、出会ったそのお店の壁はライトも備えてあり普通に展示できるようになっていて、まだ新しいせいもあり何しろ壁が真っ白できれいだった。1フロアのそのお店は半分以上がアイボリーの広いソファ席で解放感があり、写真をかけるお店としては、たぶん本当に条件がよかった。あ、かけてみたいなと、思っちゃったのである。

そしてもう一つの理由。昨年私の個展には、写真作品とか写真展を見たことのない人も多く来てくれた。その人たちの素直なリアクションがとても嬉しかったのである。だから、写真というものに馴染みのない人たちが私の写真を見たらどう思うのだろう、とか、お酒を飲みにきた見ず知らずの人がはたして自分の写真を気に留めるかどうか見てみたい、とか、そんな風に思った。それは自分の個展ではなかなかできづらい。結局来る人は自分つながりだし。まったく知らないひとのリアクションが見たい。だからお店にかけるのを決めた。

ちょうど川柳の菊池京と一緒にやっている作品は、お店にかけるのにはちょうどいいんじゃないかと思った。写真が言葉足らずなところを川柳が 川柳のイメージを増幅させるのに写真がそれぞれ補いあって、川柳と写真という一般的には馴染みの薄いものをよりわかりやすく伝えられるのではないかと思った。
あの白い壁に、桜の花びらのようにはらはらと川柳と写真を並べて、お酒を飲みながら美味しいものを食べながら、春の夜にお客さんが少しいい気分になってくれたら嬉しいな、と思い。そして昨日が初日。

搬入し終えたら、そんな無理して来てもらわなくていいと思ってたものが、知ってる人達にももう少し見てもらいたくなった。飲食費がかかるから躊躇していたけど、シェフのしんさくくんが作る7品3000円のコースは本当においしいし、もう少し好きな人を誘って一緒にご飯を食べようかななどと思い直した。

そして初日にさっそく素敵な初対面の出会いがあった。私より一世代上の女性3人と、私より一世代下の菊池京のお友達とそのいとこさん。彼女らはとても丁寧に作品を見てくれて、川柳はこれが私、写真はこれが好き、川柳と写真が一緒に好きなのはこれ、と本当にいろいろとお話してくださった。

静かな写真ね これはどうやってとったの?不思議! それぞれの人生の立ち位置でどれを選ぶか決まる気がするわね 今は私これだわ なんかすごいドキドキします 。。。

どれもこれもが嬉しかった。誰一人、撮ったカメラやレンズやフィルムやそんなことは聞かない。写真論など話したりしない。彼女らはみな「私はこれが好き!」と自分が主語で、そして等身大の言葉で私と菊池京の作品を語ってくれる。私にとってそれは、何よりも嬉しいことだ。

いろいろと含みと深みのある句にかわいらしい写真をぶつけた一枚を指さして「私、これがいい、かわいいわ」という女性は、頬がバラ色に染まって、先輩に失礼かもしれないけど彼女の方がよっぽど可愛らしかった。ママのマリコさんは「大人ね〜 これ大人だからわかる」と言ってくれた。そうなのだ。菊池京の川柳は、一見うぶな少女性をまといながら、実はものすごく深く辛辣で重い。それに惹かれた私を、女性達は何も言わなくてもわかってくれる。それが本当に嬉しかった。

アートやコンセプトや芸術な写真は、他にやる人がいっぱいいるから私がやらなくてもいい。私はこういうものを作って、こういう写真を撮っていきたいなと、またそうちゃんと思えた。あ〜やっぱ展示って癖になるな。かけたそばから、もうすぐ次やりたい 笑

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「そんな気がしてた」という作品をつくってみました。
Ver.DとVer.Sと、二つのバージョン。


菊池京×藤田めぐみ
「そんな気がしてた Ver.D」
2008.3.9〜3.31 神田「NAMIHEI」
詳しくはここをご覧ください→http://megmego.com/

川柳作家・菊池京とのコラボ 川柳と写真の作品の新作です。
夜の飲食店で、小さな展示をしてます。
コース料理が基本のお店で飲食費がかかりますし、私も毎晩はいませんから
ご来場に関する過分なご配慮やお心遣いはまったくもって無用です。
内容は、展示が終わったら本サイトで公開予定です。
もしご来場される場合は、メールにてお知らせください。

藤田めぐみ
「そんな気がしてた Ver.S」
BIGLOBEケータイ書店 小説カテゴリ内「ケータイ文庫drop」

私がごくごく短い13の物語を書き、それぞれに二つずつ写真をつけました。
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2009年03月04日

好きな人とだけ

片方は違法な政治献金といい、片方は不当な国策捜査という。見解の相違は、実におおごとだ。

そんなこととはレベルがまるで違うけれど、私もひと月ほど前に、見解の相違というか認識の違いというかそういう場面におかれた。私は、きっと相手が謝ってくるだろうから その時どういうふうに鷹揚にかまえて「いいよいいよ」とにこにこしてやろうか、などと思っていたのに、相手は私とまったく同じ事を考えていたのだ。つまり私が悪いことをしたと、そう思っている空気をめっちゃ醸し出してきて、心底驚いた。

これはもう、気持ちの行き違いとか説明不足とか、そういうこととは全く違う要素が引き起こす相違だと感じた。なんだろ、ありふれた言葉で一言でいうなら感性の違い。センスとか第六感とかそういう、言外の言語が全く違ったこと、それが原因だと思った。「言わなくてもわかること」というものの概念と理解度がまったく違っていたのに、共通認識に立っていたかのように勘違いしていた。

言語とか意識下のコミュニケーションをいくら辛抱強く重ねても、分かり合えない人がいる。それをまさに体感した。もちろん人間話せば誰でも分かり合えるなんて思ってたわけではさらさらないけれど、なんかちょっとショックだったかも。でもそれが体感できたのは、いいことだ と思った。

そしてこれからは、「言わなくてもわかること」の大前提や、それらについて語る言語が共通する人を選んでつきあっていかなくてはいけない、と思った。それらが共通する人達というのは、一言で言えば「好きな人」達なんである。理由なく、好きと言えて尊敬できる人達。

最近は自分の「好き嫌いセンサー」を信じることにした。どんなに耳障りのいい話をされたとしても、このセンサーが、「なんかヤバい!ヌメッとする〜!」とアラームを鳴らしたら、速やかに去ることにしている。

以前は、人を選んでつきあうという行為は何となくいけないことだと根拠なく思っていた というか、そこはかとなく気が合わない人や嫌いな人でもつきあっていかなくちゃならないものだ、それが人生だと、何か実体も根拠もないものに思わされていた。しかし人を選ぶということと人を差別するということは違う。私のこれからの人脈は、自分の好きな人達だけでつなげていきたい。
人の言いなりには絶対になれない。けど、好きな人達のためにはいくらでも何でもできるし、好きな人達のために何かをするという時が、私が一番能力が発揮できる場面の一つだと、最近深く感じているからだ。


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「そんな気がしてた」という作品をつくってみました。
Ver.DとVer.Sと、二つのバージョン。


菊池京×藤田めぐみ
「そんな気がしてた Ver.D」

2008.3.9〜3.31 神田「NAMIHEI」
詳しくはここをご覧ください→http://megmego.com/

川柳作家・菊池京とのコラボ 川柳と写真の作品の新作です。
夜の飲食店で、小さな展示をします。
コース料理が基本のお店で飲食費がかかりますし、私も毎晩はいませんから
ご来場に関する過分なご配慮やお心遣いはまったくもって無用です。
内容は、展示が終わったら本サイトで公開予定です。
もしどうしても見に行きたいという奇特な方、菊池・藤田の関係者で飲みに来たい方は
予約の都合等もありますので、ご来場の前にメールにてお知らせください。

藤田めぐみ
「そんな気がしてた Ver.S」

BIGLOBEケータイ書店 小説カテゴリ内「ケータイ文庫drop」

私がごくごく短い13の物語を書き、それぞれに二つずつ写真をつけました。
携帯コンテンツとして、 3月下旬配信予定です。

posted by FUJITA MEGUMI at 19:53| 東京 曇り| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月21日

歯医者って恥ずかしい

最近、歯医者に通っている。入院中に悪くした虫歯治療と並行して、徹底的なクリーニングをしてから今ホームホワイトニング中。歯の型をとって作ったマウスピースに漂白ジェルを塗り、寝るときに嵌めてそのまま眠る。それを3週間続ける。始めて一週間で、イソジンで着色していた歯が2段階白くなり一番白い段階になった。まだ黄色みが強かった何本かの歯の色の抜けが遅く もうちょっと白くしたいところがあるし、ジェルがあと2週間あるので続けるんだけど、これが結構大変。個人差があると思うんだけど、私は漂白ジェルが独特の「キーン」という浸みる感じがあり、マウスピースの異物感にも慣れないで熟睡できない。なので一日おき。
「いや〜ん、すっごい白くなりましたよ!」と笑顔で言ってくれる担当の歯科衛生士さんの歯は、もう目に眩しいくらい真っ白。ぶっちゃけ、不自然なくらいの真っ白さであるが、彼女が美人だし色が白いので、その不自然さは好感度が上がる要素として効果的に作用していると思われる。でもあそこまで白くならなくてもいいんだよな。適当なとこでやめとこう。

ここの歯医者は美容院かエステかと思うほどのサービスのよさ。先生もイケメン&美人、衛生士さんもみなかわいい。費用も明確で高くなく、治療の経過をきちんとパソコンに取り込んだ写真を使って丁寧に説明してくれる。それに、全然痛くない。麻酔も治療も全く痛くない。

予防医療にも力を入れていて、歯周病菌や虫歯菌がどれだけいるのかも検査できるというのでやった。検査方法は「ツバを溜める」。検査前2時間は飲食もうがいも禁止された口で、味のないガムを5分間噛む。そしてガムをはき出し、小さな漏斗を挿した試験管に、5分間ツバを溜めていく。出たツバをゆっくりと漏斗めがけ落としてゆく。漏斗を伝って試験管に溜まっていくツバ。そばにはにこにこと見守る衛生士さん。ちょっとこれ、微妙にかなり恥ずかしい。そこはかとなくプレイ感も漂う。

結果、私は歯周病菌は検出されなかった。「フジタさんはちょっと歯肉は薄めですけど本当にキレイなピンク色の歯茎で、とてもいいですね〜 やっぱり菌がいないから、キレイなピンク色なんですね〜」と衛生士さんに褒めちぎられるのも、これまた何でか知らないがかなり恥ずかしい。

ここのクリニックは事あるごとに治療経過を残すため写真を撮るのであるが、これもまたかなり恥ずかしい。よく歯科医のホームページで見るような、歯の並びがキレイにわかる写真や口の中の写真を、とてもいいデジ一眼で何枚も撮る。
そのたびに、一瞬「そ、それは無理かも」と思うあり得ないような大きさで奇異な形のマウスピースを「は〜い、ゆっくり嵌めますからね〜大丈夫ですから〜」とか言われて衛生士さんの慣れた手つきであっという間に口に嵌められ、なんとも言えない形に強制的に固定された口の中を、バシャッ!!バシャッ!!というシャッター音と炸裂する外付けのフラッシュの光とともにカメラに納められる。その時はタオルで目隠しをされているのだ。これもかなり恥ずかしい。

口の中、というのは恥ずかしい場所であるんだなと、感じ入る歯医者通いの日々である。

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2009年02月12日

ダウナーながらも

またまたブログの更新がとまってしまった。すみません。今月来月は、せめて1週間に1〜2回は更新するようにしたいです。ちっちゃい、ちっちゃ〜いお知らせとかあるしぃ。でもほんとに身内向けのお知らせなんで、わかる人にしかわかんないお知らせである(意味不明)

更新がとまった理由はもちろん体調不良。もういい加減になんとか元気な体になってほしいのであるが、冬はだめだすな、やっぱり。それと夜の会合が週2回でもきつかったもよう。前回のブログ時からダウンした。

飲み会に出ると、最近は何しているの?と聞かれる。何らかの職場に所属していない今の私は、自分のしていることを説明するのがとても難しい、というか面倒である。なので「ん〜別に〜ぼちぼちと〜」などと言うと「優雅だね〜」と言われたりする。優雅。ってなにかな(笑)
血液内科、放射線科、眼科、婦人科、耳鼻咽喉科、内科、循環器科、歯科と、この一ヶ月の間も病院まわりは頻繁であった。まあ保険で全身ドッグやってると思えば優雅か。風邪も引き、新たな服薬も始まった。やっと落ち着いてきて、今はやっと、ちょぼちょぼと作り物をしている。もちろん写真を使ってなんだけど。

1月〜先週までの会合は、結果的に大事にしなくてもいい付き合いだとわかった会合でかなり激疲れし、そこに風邪がするりと入り込んできて次々に体調が連続自爆となり、後半組んでいたとっても会いたい人たちとの予定を次々キャンセルせざるをえなくなり。意味ね〜。私ってつくづく「やり過ごし」が下手だと反省。

体調不良の一つに甲状腺の機能低下があり。とにかくだるい、とにかく寒い、こむら返り、入浴はもとより排泄や食事の後などにも容易に起こす脳貧血など。それが甲状腺の機能低下によるものであった。声もニューハーフ並に低くなり、それも症状のひとつだった。原因の一つとして、リンパ腫発病以来、免疫の低い私のうがいの友であったイソジンが考えられるとのことでびっくり。イソジンの主成分はヨードで、その大量摂取により甲状腺ホルモンが出にくくなっていた可能性があると。機能低下は「日常生活がかなり難しいレベルですよ」とドクターに言われた。え〜。。てなもんで。私としては「亀の歩みで体は回復している!」と思い込んでいたのに、滑稽な話である。

おもえばこの2年半、一日中何回となくイソジンうがいしてたもんな。血液内科のドクターだって、「イソジンやりすぎやばいよ」とは誰一人言ってくれなかった。何でもかんでもイソジンだった。内分泌のドクターから言わせれば、イソジン性の甲状腺機能低下はよくあることらしいのに。今は、濃いめのイソジンでクッと喉奥に伝わせるうがいをやめ、代わりに甲状腺ホルモンを飲んでいる。なんだかほんと、バカみたい。皆さんもイソジンうがいはほどほどに。

体調が悪いと、なんだか急に昔の嫌なことがフラッシュバックしてきた。2月は再発して入院し、人がいかに「死人に用無し」かを数々思い知らされた嫌な月。そんな不愉快なエピソードや記憶が、どうにもならない最悪な体調の中で突然に何の脈絡もなく次々と思い出され胸苦しくなる。あいつも死ねばいい・こいつも死ねばいいとか、そんなことばかり思っていて。

昔は、そんなこと思っちゃいけない、人に恨みを持つなんてそんな意味のないことに縛られちゃいけない、などと思っていたけれど、今はそんな風に醜く思ってしまう自分も受け入れてあげようと思うんだ、そうじゃなきゃ苦しすぎてさ。。と言ったら、「誰でも『殺すリスト』とか普通にあるよ?めぐも普通にあっていいんだよ。何ならいつも着物の時に挿してる扇子に『殺すリスト』書いて持ってれば?それでたまにこっそり扇子開いてほくそ笑むの。たまに順位入れ替えたりしてさ。こいつは1位だけど3位に下げてやろう、こいつは一気に2位浮上だ!とかさ。いいと思うな〜」と言われた。

殺すリスト扇子。ばかばかしくて可笑しすぎて、その人と二人で大笑いしたら、なんだか気持ちが晴れて、胸苦しさが消えていった。その人の優しさがじんわりと浸みてきた。ありがとう。きっと少しずつ、いろんなことを時が解決していくものなんだよね。体も心も。わかっているけど時折とっても苦しくなって。そしてその苦しさを人の優しさが溶かしてくれて、時のクスリの手助けをしてくれるのだ。

2月は、今までの人生の中ですっごく嫌なこととすっごく嬉しいことが同時にあった月。後半につれて嬉しいことが多くなっていく月なのだ。そう思って、ぼちぼちと、私のほんの周りの大事な人たちの喜ぶ顔がみたくて、のろのろながらパソコンに向かう。出来ることしか出来ない。出来ることを出来る一杯にやる。体をだましだまし。気持ちはとにかくマイペースで。そうしているうちに、きっと何か、どうにかなってくるだろう。

posted by FUJITA MEGUMI at 09:47| 東京 晴れ| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月23日

お酒の飲み方

年頭から新年会合は続いている。夜会合は一週に二回までと決めているが、今の自分にはこれで精一杯。それ以上だと、過剰だと感じ気持ちの消耗が激しい。お酒も飲まない時も度々。相当気を許す相手ではないと飲まないし、飲んでも以前の量からしたら相当少ない。

今では私の友人は65%くらいがお酒を飲まないかほぼ飲まない人たちだ。お酒を飲まない人たちとの話は、腹がよじれてひっくり返るほど可笑しくて絶妙のシニカルさをたたえ、非常に面白いことが多い。酒を飲んでいるときより話が深まるスピードが格段に速いと感じる場面が多々ある。素面の話って超酔えると初めて知った。

前は週に4.5回と飲んでいたこともあった。今から考えると異常だ。はっきり言って飲めば量はいっていました。そして論議に巻き込まれることも多々あった。
夜に酒を飲んで仕事論や写真論や恋愛論や人生論を語ることは不毛だ。無駄だと言っているわけではない。まったく意味がないと言っているわけでもない。ただ単に不毛なだけ。不毛な「そうするべき論」は翌朝には尿となって体からすっかり流れ出て、かえって強烈な喉の渇きをもたらすだけ。朝の光で魔法はすっかり解け、「あたしは一体全体何をやっているの?」という耐え難い渇きが残るだけだ。そんな不毛な酒の飲み方を以前の私はしていた。

男の人は、特にある一定以上の年齢の方は夜に酒を飲んで意見を交わすのが好きな人が多いが、あれ困るね、結構迷惑。夜の酒からは基本的に何も生まれない。論を張るなら、そして女を口説くなら素面でやれと思う。何かを生み出したいなら酒と薬物はいらない。夜に酔って人生論や写真論をうつ男はたいてい呆れるくらい普通だし、しつこいから女にもてない。だいたい酒や薬物は溺れないと愉悦に預かれないものだ。中途半端に飲んで中途半端に人生論。これはまったくもって周囲に迷惑をかける。

もちろん夜と酒の組み合わせの中から何かを生み出すひともいる。数々の芸術が生まれてもいる。しかしそんな人は凡人ではないし概して短命だ。今の私には凡人でいいから一分一秒でも長く生きるという義務がある。周囲の大切な人たちのために。

重ねて言うが、不毛だからといって無駄なわけでもなく意味がないわけでもない。お酒は雰囲気に酔って、ひたすら楽しく、言葉の無邪気なやりとりを楽しむこと。具体的なことじゃなく、「あれ、なんかこう、うまく言えないけど、何か思いついたような。。。」というようなフワフワと浮かんだヒントのヒントみたいなことをつかむこと。殻が固いのかなと思ったその人の、お酒にほんのり酔ったことからにじみ出てくる人柄の薫りに触れること。まったく新しい出会いに遭遇すること。そんなことは、お酒がある場だからできることで、そして時にそれは人生においてとても重要だ。

以上のようなことで、私はお酒の場が結局好きだ。メンバーが飲んでも飲まなくても。自分がその日飲んでも飲まなくても。今日は心からリラックスできるメンバーなので飲み会も楽しくなるだろう。いいお酒にしよう。

なんだか当初書く予定のこととは全く違うことを書いてしまった。きっと正解だ。脱力エピソードが重なっても、ネタにしているうちに、なんだか何に怒っていたんだかわからなくなって忘れるということが出来るようになった、というかそういう脳の構造になっちゃった。ジャンキー上がりも悪いことばかりじゃない。
posted by FUJITA MEGUMI at 13:22| 東京 曇り| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする